--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2011-01-31

天女降臨(19)

ソーマ天女様の親愛の贈り物
それは生美蘇きみそ(天然酵素 薬膳味噌)です

 Daigo & B・sprout in
天然酵素 生美蘇 薬膳味噌 
糀菌+α酵母菌+α乳酸菌

全身全霊を傾けて『天然酵母味噌』を製造開発しましたが、
乳酸菌含有はあるがままだったので、どうしても納得ができず、
本来の味噌発酵の主菌である『糀菌』に、
更に意図的に『天然酵母菌』を合わせ、
糀菌との共生培養を成功させたのです。
そして更に意図的に『厳選乳酸菌』を合わせ、
糀菌+α天然酵母菌+α厳選乳酸菌の
三大有益菌を共生培養し『塩梅』して『天然酵素味噌』を造ったのでした。
然し、まだ納得できませんでした。
何故なら、酵素を活性化させる最たるものである『醍醐』(補酵素)と
発芽野菜『ブロッコリースプラウト』が和合されていないからです。
結局最終的にできあがった生味噌が表題の『生美蘇』なのです。
さて、「天然酵素薬膳味噌」である
生美蘇』には薬膳に相応する何らかの薬効があるのか?という事です。
薬ではないので薬事法所定の薬効を詳らかにする事はできませんが、
生体酵素の活性を高めると消化機能と解毒機能が高まり、
抵抗力/免疫力が向上し、
発ガン抑止力が高まる事は既に確認されているのです(筑波大学)。
特に酵素の働きを活性化させる食物としては、発芽野菜が上げられています。
発芽野菜には『スルフォラファン』という酵素活性因子が多分に含まれており、
特に『ブロッコリースプラウト/B・sprout』が際立っており、
キャベツの384.5倍、ブロッコリーの21倍で、
この『スルフォラファン』こそ、消化酵素や解毒酵素を活性化させ、
免疫力向上、発ガン抑止力効果がある物質なのです。
私(聖 四門)の研究によれば各種乳酸菌に各種酵母菌を共生培養し、
その共生培養エキスを熟成濃縮した『醍醐』は、
有益菌を共生培養する培地に一滴から数滴、馴染ませるだけで、
有益菌の活性は驚くほど躍動するのです。
私は『スルフォラファン』を多量に含有する『B・sprout』より、
むしろ『醍醐』のほうが数百倍から数千倍の
酵素活性因子/低分子有機化合物を含有していると確信できるのです。
何故なら、酵素は『補酵素』(低分子有機化合物)なしにはより活性しないからです。
人の生体は『精神/心』作用に重大な影響を受けます。
『精神/心』は単なる頭脳の働きではありません。
それは『霊魂』の作用であって生体内外の全てを包み込んでいる
『オーラ』(切観・切観・切観の一大親霊性/切実魂)の作用なのです。
『醍醐』は『補酵素』ですが『オーラ』が充実しているのです。
自分1→父母2→祖父母4→曾祖父母8。
この1・2・4・8の『祖神の法則』を実証しているのが
有益菌共生培養エキス『醍醐/Daigo』だからです。
『オーラ』の涵養こそ肝心要なのです。
スポンサーサイト

2011-01-30

天女降臨(18)

ソーマ天女様の親愛の贈り物
それは生美蘇きみそ(天然酵素 薬膳味噌)です

 Daigo & B・sprout in
天然酵素 生美蘇 薬膳味噌 
糀菌+α酵母菌+α乳酸菌

味噌は、古代には、穀物を原料とする塩蔵発酵食品である醤(ひしお)の一種、
穀醤として扱われ、奈良時代の文献には
「未醤」(みさう・みしょう:まだ豆の粒が残っている醤の意味)と
呼ばれた味噌の記録があり、
ミソの表記と呼び名の語源は、末醤で、これが未醤と誤って書かれ、
やがて味醤、味曽、味噌と変化したものであることは、
「倭名類聚抄」(934年頃)や「塵袋」(1264~87年頃)
という辞書に書かれています。
「大宝令」(大宝元年 701年)の「大膳職」条では、
末醤で、他に味醤、美蘇の字もすでに見えます。
●味噌の原料
※大豆
※米 - 加工用米
※塩
※麹 - 米、麦、豆など地域によって様々。
●味噌の成分
※たんぱく質
※グルタミン酸をはじめとする各種アミノ酸
※ビタミンB12
※ビタミンE
酵素
※イソフラボン
※コリン
※レシチン
●生味噌
味噌には加熱殺菌された味噌と非加熱の生味噌という2種類の味噌があります。
胃もたれ・便秘気味の方には非加熱の生味噌がお奨めです。
生味噌は非加熱なので、麹菌・酵母菌・乳酸菌が生きたままなのです。
実は、生味噌には麹菌の他酵母菌や乳酸菌等が相当量生きているので
消化酵素は多量に含有されているのです。
酵素
酵素は一個の生体に一個以上必須に固有する
生体の『生老病死』の装置/刺激・触媒です。
人の生体は人固有の酵素が働く『塩梅』によって、
人の『生老病死』は決まります。
●加齢と生体酵素の量質転化
40歳まで100%。その後徐々に減少していき70歳では50%となり、
40歳以降の生体酵素の減少こそが、老化の原因。(米国エドワード・ハウエル博士)
従って、人の生体は老若男女を問わず生体酵素の量及び質の転化の法則によって
『生老病死』は決定されるのです。
つまり量が質を変えるのです。睡眠薬は適量に飲めば睡眠薬になり、
多量に飲めば毒薬になり死をもたらします。生体酵素も適量に保持され
適切に機能していれば生命は寿命に適応して生きていけるのです。
所が、食生活の偏頗により肉食系を主とすると、
動物性酵素は20%弱しか腸に届かず、
その分、消化酵素は逓減します。反対に菜食系を主とすると
植物性酵素は60%強腸に届くのでその分、消化酵素は逓増します。
動物性酵素20%、植物性酵素60%、3倍の差があるのです。
習慣病/成人病は食習慣の病気です。
生まれた時から肉食系に終始すると
肉食動物の寿命のように草食動物の1/3以下しか生きられません。
これは摂取する生体酵素が植物性の1/3以下しか腸に届かないからです。
生体酵素の摂取加減が人の『生老病死』を決めるのです。
● 天然の動植物を食すれば、天然の動植物の生体酵素を摂取した事になります。
然し現代人の食物の大半は天然の動植物ではありません。
動物系も植物系も自然の大地で育まれたものではありません。
無機的な化学肥料によって飼育されたものです。
私達の食生活は『化学飼料』を常食としているのです。
ですが、出産技術と育児方法の向上及び衛生環境の整備により
人の寿命は一段と長命になりました。
最近の死因の割合を見ると、ガン、心臓病、
脳血管疾患の3大死因で58.2%を占め、
とりわけガンは30.4%と飛び抜けています。
又、高血圧症、高脂血症、糖尿病の疾患者は人口のほぼ半分です。
これらは生体酵素の量質が起因しているのです。
植物系の生体酵素の摂取不足が原因なのです。
この度、私(聖 四門)が開発した表題の『生美蘇/きみそ』は、
有益菌が固有する植物性天然酵素を超多量に含有しているので
現代人の解毒酵素として必要不可欠なものなのです。
有益菌を化学化合物を一切使わず培養するのです。
その培地が『生美蘇/きみそ』なのです。
ご賞味あれ!!

2011-01-29

天女降臨(17)

ソーマ天女様の親愛の贈り物
それは天然酵素薬膳味噌です


 Daigo & B・sprout in
天然酵素薬膳味噌
糀菌+α酵母菌+α乳酸菌
何故、有益菌が生きたまま腸に届くことが必要なのでしょう?。
私(聖 四門)の説はちょっと違うのです。
私は実際に乳酸菌共生培養エキスである『醍醐』を製造開発致しました。
菌達は高熱を加えると死んでしまいますが、菌体は残っているのです。
この菌体が元来持っていた『酵素』は菌が死んだからといって
滅失してしまった訳ではありません。
加熱によって酵素の活性が失われるだけなのです。
加熱によって死んだ菌を摂取するという事は、
活性を失った酵素を摂取する事なのです。
一度加熱によって『失活』した酵素は二度と復活しないのでしょうか、否です。
『失活』した酵素は『補酵素』によって再び活性するのです。
私の研究では『補酵素』こそが酵素を活性化する
最も大切且つ貴重な低分子物質なのです。
補酵素』を体内に補給すれば『失活』した酵素は再び活性化し、
消化や解毒に寄与してくれるのです。
私が開発した乳酸菌共生培養エキス『醍醐』は『補酵素』なのです。
乳酸菌共生培養エキスは非常に高価なもので1cc当り300円前後もします。
又、有益菌は動物性培地の場合生きたまま腸に届く確率は20%弱、
植物性培地の場合60%強といわれています。
単純な話『生味噌』は植物性培地ですので60%強は腸まで届くのです。
反対に動物性培地である『乳』の場合(ヨーグルトやチーズ等)
20%弱しか腸まで届きません。
消化と解毒は酵素の働きです。その酵素を活性化する物質は『補酵素』です。
既に『失活』した酵素を復活させ活性化させるのも『補酵素』です。
補酵素』を一番含有している物質が『醍醐』であり、
二番目が『ブロッコリースプラウト』で、発芽野菜等(かいわれ大根他)です。
生体酵素は『活性酵素』と『失活酵素』の二種類があり、
活性酵素が失活酵素よりも多く体内に存する事で生命が維持され、
逆に失活酵素が活性酵素より多い場合、老化と疾病が進むのです。
現代人は幼少年でも成人病に冒されます。
それは失活酵素が活性酵素より多く体内に蓄積されてしまったからなのです。
食生活が動物食に偏った食習慣が、習慣病である成人病を発症させるのです。
ガン体質は現代人の特徴です。
ガン体質を速やかに改善する最善の方法は、
食事の都度『生味噌』の味噌汁を添えるか、
植物性の発酵食品を摂取するかなのです。
抵抗力や免疫力を高める秘訣は
酵素の働きをより活性化する食品(生味噌を主体とした発酵食品)を
動物食より多く摂取する事です。
この度私が造った『生味噌』は、
醍醐とブロッコリースプラウトを+αした有益菌共生培養味噌で
補酵素味噌』なのです。
補酵素』の摂取が肝心なのです。

2011-01-29

天女降臨(16)

ソーマ天女様の親愛の贈り物
それは天然酵素薬膳味噌です


 Daigo & B・sprout in
天然酵素薬膳味噌
糀菌+α酵母菌+α乳酸菌
『酵素』は、生体内で営まれる化学反応に触媒として作用する高分子物質。
生体内で物質代謝に関与し、
蛋白質またはこれと補酵素と呼ばれる低分子物質との複合体。
つまり酵素は、酵素と補酵素の複合体で、
生体の物質代謝に『触媒』として関与する、生体には必須の高分子物質なのです。
生体酵素の働きは、
① 消化する ② エネルギ-を燃やす ③ 体温を作る ④ 毒素を分解する
⑤ 呼吸して酸素を取り入れる ⑥ 血液が酸素を運ぶ ⑦ 新しい細胞を作る。

極めて貴重な必須物質なのです。生きる為に食事をします。
その食事は生体酵素が多いと順調に消化され吸収されエネルギーとして燃焼し
体温を作ります。
生体酵素が少ないと消化が鈍り、
消化残滓物が体内有害菌の温床となって毒素を作ります。
結果、便秘になり、肝機能が低下し、代謝不良/不完全燃焼となり、
血液ドロドロ・肥満・冷え性等生体疲労に陥ります。
故に、生体酵素を順調に働かせる食品を摂取しなくてはなりません。
生体酵素は40歳まで100%。
その後徐々に減少して70歳では50%になってしまします。
40歳以降の体内酵素の減少こそが、老化の原因
(米国エドワ-ド・ハウエル博士)なのです。
生体酵素はあらゆる生体種(生き物)に存在します。
ですから生きたものを摂取すれば間接的に酵素は摂取されるのです。
その最大の生体酵素群は
『有益菌』(糀菌・酵母菌・乳酸菌)を多量に含有する『生味噌』です。
生野菜や果物も酵素含有比は高いとされていますが『生味噌』の比ではありません。
有益菌一体に仮に一個の酵素があるとすれば、
一億の有益菌を摂取すれば一億個の酵素を摂取した事になります。
酵素は50度以上の熱を加えると『失活』すると言われています。
然し、天女降臨(15)で述べた通り、菌達は培地に隠れて生き残るのです。
味噌の場合、米、大豆、麦等の原料を培地としてその中に隠れますので、
お碗に生味噌を16g強入れ、具をいれ、
そして100度弱の熱湯を注いで味噌と具が馴染むまで
軽くかき混ぜ『味噌汁』として摂取すれば
相当量の菌達は生きたまま腸まで届くのです。
日常摂取している肉や魚も『死体』を摂取しているのであって、菌も同じです。
仮に菌が熱によって殺菌されたとしても菌体が『無』になった訳ではありません。
菌体に存する酵素が熱によって活性を失うので、
生きた菌をより多く摂取する事が大切なのです。
そこで熱に強い培地を用意するのです。濾さずに粒にするのが秘訣なのです。
天女降臨(17)に続く。

2011-01-25

天女降臨(15)

ソーマ天女様の親愛の贈り物
それは天然酵素純生味噌です

   Bio Harmony
  天然酵素味噌
糀菌+α酵母菌+α乳酸菌

結局、私(聖 四門)が最後に造った、集大成の芸術作品は『天然酵素味噌』です。
前回、天女降臨(14)で、天然酵母味噌の完成報告をしたのですが、
どうしても乳酸菌との共生培養酵素を+αしなくては完全食品ではない、
という自責の念を拭い切れず、私の乳酸菌研究の成果であった
『醍醐』を天然酵母味噌に+αして、純正糀菌+α天然酵母菌+α各種乳酸菌の
共生培養酵素による『純生味噌』を造る事こそ沙門の仕事と考えたのです。
製造にあたっての三大指標は、
① 誰でもが手の届く値段。
② 加熱処理をしない生きたままの三大善玉菌共生培養。
③ 究極の完全食品。でした。
①の観念は、金持ちしか入手できない『高価』な製品にしない。
②の観念は、三大善玉菌糀菌・酵母菌・乳酸菌
 共生培養による生体酵素の最大限活性化。
③の観念は、対ガン治癒力免疫力・抵抗力の最大限活性化です。
この三大指標で、一番困難な事業は、
①で、如何にして『安価』に仕上げるか!にかかっていました。
②③は私にとっては大した問題ではなく『醍醐』の研究開発に比べれば、
あまたの味噌匠の叡智が既に結晶されており、後は『塩梅』の手加減で、
それはそれぞれの『秘蔵』を
『喜拾きしゅ』すれば、新たなる『秘蔵』ができるのです。
この度、私が造った『天然酵素味噌』は生体の毒素である『便秘』をまず解消し、
その他生体にとって有害なものを分解し、
悪玉菌(ウェルシュ菌に代表されるClostridium属や大腸菌など)を駆除して、
心身のプロポーションをより向上させる至高のバイオテクノロジー、
つまり『Bio Harmonyバイオ ハーモニー』の完成なのです。
生きた糀菌や酵母菌、乳酸菌は、煮立ててしまうと、菌は死んでしまいます?。
然し、私の研究結果によれば、
菌が隠れる培地を用意すれば、
菌は多少の熱を加えても、
その培地に隠れ決して滅死する事はないのです。
例えば味噌汁を作る時『具』を入れます。
この『具』が菌達の培地なのです。
私は味噌汁の『具』に『天然酵母パン』を厳選しました。
まず『天然酵母パン』一斤を八枚切りにスライスします。
その一枚を四等分し、
一斤の『天然酵母パン』で三十二片の『切りパン』を作ります。
この一片を更に十二細分して、味噌汁の『具』にするのです。
味噌汁椀に16g強の『天然酵素味噌』をスプーンで入れ、
『具』に『天然酵母パン十二細分』を合わせ、天然水を煮沸した熱湯を注ぎ軽くかき混ぜます。
菌達は『具』に隠れ、腸まで届きます。秘訣煮立てない事です。
生体にとって一番必要な『もの』は、『三大善玉菌酵素』なのです。

2011-01-21

天女降臨(14)

ソーマ天女様の親愛の贈り物
それは天然酵母純生味噌です


Natural Super Diet
美味三餐びみさんさん
天然酵母純生味噌

黙々と、研究と試行錯誤を重ね、遂に
『天然酵母純生味噌』を完成しました。
酒精以外の添加物は一切使用せず、白目大豆を100%使い、
純正の米麹と、天然酵母を程良く塩梅して、加熱処理をしないで
生きたままの『味とコク』を最大限に引き出した『美味三餐』の逸品です。
元々、貧乏寺(水神庵)の、『一汁一菜』の食生活を
何とか潤いのあるものにしようと暗中模索の限りを尽くして探し得た、
果実としての『天然酵母純生味噌』なので、
やはり一番気になった事は製造費用でした。
何しろ私達四門宗の沙門/僧侶は、食費五千円/月が原則なので、
この物価の高い日本での食事は相当切り詰めないとやっていけません。
朝食はご飯を軽く一膳、梅干一個、ごま塩、味噌汁一椀
昼食はご飯を軽く一膳、納豆、もやし1/2袋(炒め)、味噌汁一椀
夕食は野菜カレーライスと味噌汁一椀
が、ほぼ毎日の食事で、どうにか五千円/月で賄ってるのです。
朝昼夕と常に食しているものが『味噌汁一椀』で、
この『味噌汁一椀』にかかる食のウエイトは絶大なのです。
だからこそ如何に栄養価が高く、安価で、美味しい『味噌汁』を造るかという事が、
重大な命題となり、『味噌汁』の中に入れる
『具』の選択に苦心惨憺なる思いをしたのです。
結果、味噌自体を自家製とし、『味とコク』を最大限に引き出す方法として、
単なる純正米麹のみの『生味噌』(加熱処理をしない)に留まらず、
天然酵母を塩梅する事によって、更なる『味とコク』を深めるわけです。
そしてその『天然酵母純生味噌』は割高ながら造れたのですが、
その反面、『具』は、食パンの「耳」(1cm強に刻んだもの)に特選した結果、
どうゆうわけか、絶妙な味噌風味を醸し出し、
『味もコク』も一段と燦燦となったのです。天然酵母パンなら更に絶妙。
ですから、私(聖 四門)は
『天然酵母純生味噌』による一日三椀の『味噌汁』を『美味三餐』と銘打ったのです。
私も四十を過ぎてから少しづつ肥りだし、60k前半からやがて70kに、そして80kに、更に90k若までになって、それなりのダイエットに気を遣い、現在80k若(身長170cm)ですが、ここ半年間一日三椀の『味噌汁』の励行がダイエットを成功させたと信じられるのです。
そんな訳で、是非一人でも多くの方に、健康と美容の為に、
表題の『天然酵母純生味噌/美味三餐』をご賞味願いたくご紹介した次第です。
何事も『生一本』が一番です。

2011-01-16

天女降臨(13)

ソーマ天女様の親愛の贈り物
それは天然酵母みそうず味噌水です

人類にとって『有益菌』とのお付き合いは、生まれてから死ぬまで生涯を通じてお世話になる訳で不断に感心を持たざるを得ません。
その『有益菌』の代表株は、やはり、何と言っても
『発酵』をもたらす『酵母菌』ではないでしょうか。
実は私(聖 四門)は、「大般涅槃経」に出てくる『醍醐』の研究に取り組み、
㈱・醍醐製薬を北海道札幌で起業した事があり、『乳酸菌』の共生培養の際に
『酵母菌』を使って絶大な発酵効果を上げた経験があります。
以来『乳酸菌』と『酵母菌』は『二大有益菌』と自分なりに自覚していたのです。
所が、つい最近になって『酵母菌』こそが『有益菌』の『王様』である!
と確信するようになりました。
今から十一年前に還俗してインターネット動画会社/URL.TV㈱を起こし上場を目指して発起奮闘したのですが、国税庁より百三十四億円強の重加算税やらの『違法課税』を受け、事実上の会社倒産に追い込まれ、娑婆世界の、欲と欲、金と金、打算と打算、利害と利害、権力と権力の争いに『嫌気』をきたし、逃れるように第二の隠遁出家/沙門生活に入り、伊豆高原・水神庵に挂錫して余生を送っている体たらくですが、『酵母菌』の『偉大』さを、一刻も早くお知らせしておくべきと覚り、この一文にしたのです。
とりわけ『天然酵母』は化学的に培養されたものではないので
『天然酵母』使用の『発酵食品』は全てお奨めです。
『酵母菌』は空中にも地中にも全世界の至る所に自生し、
有害菌である腐敗菌と戦ってくれております。
『乳酸菌』は腸内環境を整える『有益菌』の代表選手で、人類の生活はまず最初に『母乳/乳酸菌』に始まり、乳呑児を過ぎ、一般食に終始して人生を終えます。
ですから『乳酸菌』に直接お世話になる時間は乳児時で、その後の人生の大半は
『酵母菌』のお世話になるのです。
『酵母菌』の薀蓄については『酵母なび』を是非ご覧ください。
私は前出のURL.TV㈱時代に、私を信頼して投資してくれた多くの仲間がおります。
その仲間を裏切る訳にはいきません。
然し、二度と還俗して会社を起こす気は毛頭ないので、現在の沙門生活の中で
『発明発見』に専念し、その仲間達に恩返しをすると同時に、
今日まで育ててくれたこの地球に対し恩返しをしなくてはならないのです。
そして、やっと『一汁一菜』の食生活の中から、
『天然酵母味噌』を造り『天然酵母みそうず味噌水』なるものを全世界の人々に
『美容食』として提供できる運びとなりました。
美味で、安価で、健康と美容/とりわけダイエットに貢献できる
究極のみそうず味噌水です。
具は『天然酵母パン』のみの『一品』です。
『天然酵母』こそ、この世の『腐敗』を避けてくれる
『蘇摩天女』様からの親愛の贈り物なのです。

2011-01-11

天女降臨(12)

終身雇用は悪魔の快楽
乞食暮らしは天使の法楽


『禁断の木の実』を食べ過ぎてしまった人類は、
聖書の神・ヤハウェの怒りを招き、
西暦2045年8月6日をもって『大爆発/核汚染』により『終焉』を迎えます。
この真理/天地百分の法則については前頁「天女降臨(11)」で触れた通りです。
その『人類終焉』を誰一人として気付く事なく、知らぬ内に迎える事が、
人類にとってむしろ『幸せ』な事なのだろうか、という事です。
『人間と人外』の限りない身勝手からすれば
『知らせるな!!』の『箝口令/かんこうれい』なのです。
然し、この地球は『人間と人外』の私有物ではありません。
『人類』以外の一切衆生が生きている棲息の天地なのです。
ご周知のように『権力』を掌握し『領袖』といわれる御仁達は、何れも最たる
『禁断の木の実』である『権力』を貪り食っている腑抜けなのです。
この悪魔に魂を売った『権力者』の実像は、
官僚』といわれる『贅と税』にたむろする毒蛇の『くぐつ/傀儡』であって、
この地球という楽園を牛耳っている毒蛇は『官僚』なのです。
官僚』は生まれながらに『贅と税』の『生き血』を吸って生きる『吸血鬼』で、
なかなか正体を見せません。
官僚』は『軍官僚と文官僚』とがあり、
この『軍文官僚』が化物を超えた『悪魔の正体』なのです。
ですから、真理と向かい合おうとした
真っ当な政治家達(リンカーン、ガンディー、ケネディ、石井紘基等々他)
は殺されてしまうのです。
官僚』は、何故『悪魔』なのか!
それは一切衆生の『生き血』である
贅と税』を吸って『快楽』としている『吸血鬼』だからです。
日本のとある村の役人達は、こぞって平均年収七、八百万円です。
所が、その村の村民達の平均年収は二百万円若です。
村民の数倍以上の年収を役人達は平然と貪っているのです。
これはほんの一例です。
私(聖 四門)の、一番大切な『鑑』は
『ソーマ天女』様であり、その『プロポーション/均整』です。
つまり、この世で一番大切な事は『プロポーション/均整』なのです。
『プロポーション/均整』とは『調和』そのもので『権衡』の事です。
前出の村の例は、そこで暮らす人々の収入に『調和/権衡』がとれてない証で、
村民の公僕である役人が村民の血税を貪り食っている図式です。
殿様が百石で、家来が四百石の図式です。
この図式は『真逆』なのです。
全人類の生活の図式は、人民の平均収入以上の収入を、
役人達が『』してはならないのです。
何故なら役人達は
終身雇用』というとんでもない『快楽』を先取りしているからです。
木っ端役人ですら『贅と税』を貪り食らい『人々』の
生き血』を吸ってヘラヘラと蠢いているのです。
況や、役人の『領袖』である『軍文官僚』は、ケタ違いの『領得/役得+隠匿』で、
優に『数百倍』の悪辣さなのです。
不均整は不権衡であり、不権衡は全人類を不調和にする悪魔の仕業なのです。

2011-01-10

天女降臨(11)

ソーマ天女様の御声を聞きなされ
天道(求道・得道・伝道)を一心に歩みなされ

西暦2045年8月6日の『人類終焉』の日まで、あと34年6ヶ月強しかありません。
にも拘らず、特に『人間と人外』は「知らぬ顔の半兵衛」を決め込んで、
どこ吹く風の体たらくを満喫しております。
私(聖 四門)は男性なので、
聖書の神・ヤハウェのように「怒り心頭に発する」寸前なのです。
どうして現代人は『三猿』(見ざる聞かざる言わざる)になって『猿』に退化してしまったのでしょう。
それは『権力』に『飼い馴らされて』『寄らば大樹の陰』の『蔭の人』に成り下がってしまったからです。
『人』としての尊厳を見失い、『権力』におもねて『贅と税』に依存し麻痺し中毒者となり、自然人として百万年も生きてきた智慧を捨てさせられてしまったからです。
今となっては『権力』の自縄自縛による『自壊』を待つしかありません。
『人類終焉』の西暦2045年8月6日の『間』に、何が起こるのか!!。
まず、後34年6ヶ月を日数に直すと、
1年365日×34年=12410日+180日(30日×6ヶ月)=計12590日強となります。
その12590日強の1/100=126日以内に、『大恐慌』の導火線に火が付きます。
つまり、2011年5月迄に、ヨーロッパから『恐慌』の波が徐々に広がり、
更に12590日強の1/10=1260日以内に、その『恐慌』の波は怒涛に変わり
『大恐慌』が3年半弱世界を席巻するのです。
更に、『人間と人外』がしでかした数限りない『悪業』に対し、
『因果応報』の鉄槌が下るのです。
『大恐慌』の次にくる人災は『大洪水』です。
これは『人間と人外』が造った「臭化メチルやフロンガス」等の『オゾン層破壊』と、同じく『人間と人外』が作った『化石燃料化合物』等の『温暖化破壊』の相乗による『大洪水』で、最早『三猿』に成り下がった『猿知恵』では手の施しようがない『壊滅的打撃』を受けるのです。
この『大洪水』は7年間弱世界を覆い尽くします。
更に、追い打ちをかけるように『人間と人外』がばらまいた化学肥料が突然変異して全飼育物と全栽培物を襲い、人類が食する食糧の大半は壊滅的打撃を受けるのです。
この『大飢餓』は10年半弱全世界を嘗め尽くすのです。
そして愈々最後の14年間弱は『核廃棄物汚染』と『核爆発』の連鎖によって、
地球上の『人類』は壊滅し『終焉』するのです。
これは『因果応報の法則』と『天地百分の法則』による『哲学』が証明している真理で、実に由々しき事なのです。
私(聖 四門)のこの『大預言』は宇宙の『母性』である『ソーマ天女/蘇摩天女』様の『お告げ』であり、即さま、人類更生の道を拓き、急遽なる生活転換をしなければ『救い』はないのです。
それは『ソーマ天女』様の『お告げ』(大預言)を守り、
『求道・得道・伝道』の『天道』を一心不乱に歩み続ける事なのです。

2011-01-09

天女降臨(10)

絹衣は生きた繭を殺して紡んだ命
毛皮は若い動物を殺して剥いだ命


私(聖 四門)がインドの霊鷲山/王舎城にある日蓮宗系の日本山妙法寺(藤井日達猊下一門)に挂錫/けしゃくしていた頃、このお寺には、それは大層大きな太鼓が本堂に鎮座していました。
庵主様の妙光上人は早朝四時頃から勤行に入り、
その大太鼓を読経に合わせて打ち鳴らすのです。
私もお世話になっている以上一緒に勤行すべきなのですが、どうしても、
その大太鼓が気になって、結局一度も勤行に参加した事はなかったのです。
太鼓は、若く逞しく張りのある、人様の年齢なら十七、八歳に相当する
若い成牛が、眉間をバットで殴られ、殺され、皮を剥ぎ取られ、
その皮を鞣して太鼓に仕立てたもので、
そこには太鼓用に『飼育』された牛達の無残な姿が映し出されていたからです。
よくある質問の中に
「野菜だって生き物だし、害虫を殺しながら栽培し、いわば飼育して、結局は食ってしまうのだから、害虫を殺すという殺生と、生き物である野菜そのものを食ってしまうという殺生をしているので、肉食をするのと何ら変わりはないのでは」
と言われます。
確かに野菜は生き物です。
然し、野菜は動物ではありません。
動物のように自らが能動的に自由に闊歩する事がないのです。
況や、私達『人』は動物であって植物ではなく、
従って植物の痛覚や悲鳴は何も聞こえないのです。
我が四門宗における『不殺生戒』は自然の生態系における食物連鎖や弱肉強食は、
自然の成り行きで、『仕方がない』事としてその是非を問うてはいません。
ただ、自然界で自由に闊歩していた動物を捕獲して食べるならまだしも、
『飼育』して、生まれながらにして自由を奪い、
果てに食ってしまうという事の残酷さを禁止しているのです。
それは私が、上記日本山妙法寺において、夜な夜な現れるゴキブリを退治した
『食うか食われるか』の自然の成り行きと同じ事なのです。
生態種の棲処であった生息地を奪ったり、囲ったり、檻に入れたり、枷をはめたり、そういう事が反自然の、人間だけがしている
『飼育』の行為で、植物の栽培は有機栽培/無農薬栽培もあり、
植物が生き物だから食べる事は「殺生」だとする理屈は
生態系の『食うか食われるか』の食物連鎖や弱肉強食を
余りにも論外においた論外なのです。
原産種がどこであれ、それが地球上に伝播して『人』のようにあちこちに点在したからといって、それを原産地に帰れなどという愚論は「野菜も生き物だから食べれば殺生だ!!」とする愚問と同じなのです。
人間のおぞましさの一つに『過ぎたる愚問』があり、それは不毛な理屈なのです。
肉食の禁止、絹衣の禁止、皮革の禁止、太鼓の禁止等々は、
何れも、悪魔に魂を売った
権力者
の嗜好による『飼育』という反自然の悪業を『禁止』しているのです。

2011-01-09

天女降臨(9)

三親の情(親愛の情・親身の情・親切の情)を喚起せよ
三親の情(親愛の情・親身の情・親切の情)を涵養せよ

盲目にして盲動的な「国家的人間」と「帝国的人外」の一万百年の歴史は、
西暦2045年8月6日をもって『終焉』し、
同時に人類の『奢り/おごり』の生活は『終末』を迎えます。
これは、私(聖 四門)の『魂』に降臨なさっている『天の川 水神・蘇摩天女』様の
『預言』であり、軽薄な『人間と人外』の鈍智の及ぶ所ではないのです。
聖書の神・ヤハウェは、怒りの神であり、ジェノサイドの神でした。
ヤハウェの言う事を聞かず、勝手放題の我儘ばかりをしている人類を怒り、
ノア一族だけを扶け、他の人類を大洪水を起こして悉く殲滅したのです。
やはり洋の東西を問わず、『人間と人外』は絶えず『神』を怒らす存在なのです。
これは、ヤハウェの神格が『父性』であって『母性』ではなかった為です。
それは男の怒りであり「怒髪天を衝く」怒涛の怒りだったのです。
他方『蘇摩天女』(以下ソーマ天女)様は、決して怒らず、
只管『三親の情』(親愛の情・親身の情・親切の情)を一切生類に留まらず、
一切諸物に対し、万遍なく降り注いでくれているのです。
そして、この『三親の情』(親愛の情・親身の情・親切の情)の『喚起と涵養』こそが、
人類再生の唯一の『糧』であると「預言」しているのです。
万物に対し親愛の情で接し、万人に対し親身の情で接し、万国に対し親切の情で
接することを教え諭してくれているのです。
もし仮に、この『三親の情』(親愛の情・親身の情・親切の情)をもって日常を自律したら、
人類に争いはなくなるのです。
現代人の気風は、『ソーマ天女』様の教えである
『三親の情』(親愛の情・親身の情・親切の情)を全く無視した、
『不親愛・不親身・不親切』そのもので、だからこそ、
戦争や諍い、横暴や横柄が罷り通っているのです。
私(聖 四門)は『ソーマ天女』様の基本的な教えである
『三親の情』(親愛の情・親身の情・親切の情)での応接を守り、
一切他生を『飼育』せず、『贅と税』にまみれる事なく、
日常生活を自律する事を日夜『誓願』し『実践』し『布教』し、
己を含め全人類に『これしかない!!』『救い』を訴えるのです。
人類の『終焉』と『終末』まで後三十四年七ヶ月しかないのです。
この『因果応報』の法則を信じようとしない『人間と人外』の浅ましさに、
私(聖 四門)は涙が止まりません。
この涙は『ソーマ天女』様の『預言の涙』で、余りにも『人間と人外』の、
せねばならない『三親の情(親愛の情・親身の情・親切の情)さ、
してはならない『飼育』のさ、
まみれてはならない『贅と税』のさ、
に対しての痛恨の涙でもあるのです。
『生』ばかりに被れて『死』を忌み嫌う『人間と人外』の業突に、何故
『ソーマ天女』様は聖書の神・ヤハウェのように『天罰』を下さないのでしょう。
それは『ソーマ天女』様の神格が『母性』だからなのです。

2011-01-08

天女降臨(8)

飼育は人類滅亡の生き写し
悪魔に飼育されし人類の鑑なり


私(聖 四門)も宗教家の端くれとして、
食生活の問題だけはハッキリと宣言しておきたいのです。
我が四門宗では『肉食禁止』が原則で、日常は『菜食』です。
然し、本来の食事は、『草食』でなくてはならないのです。
『草食』とは、果実(木の実・果物類・菌糸類・海藻類・雑穀類等他)を食する事で、
農作物ではないのです。
自然に自生する果実を食材にして調理し、それを食すのです。
『人』となって百万年強『人々』は自然に自生する果実を食して生活してきました。
人類の歯並びを見ても明らかなように、
元々「草食系」が基本であって、決して「肉食系」ではなかったのです。
所が、色々な「小道具」を発明して、獲物を獲るようになり、肉食の味を覚え、
以来、草食と肉食の「雑食」になったのです。
農耕民族は「草食」を主とし、遊牧民族は「肉食」を主として、
古代都市国家を建設するに至ったのです。
農耕にしろ、遊牧にしろ、
自然の大地を破壊して集落を興し都市を築いていったのです。
果たして、
この地球は自然をもって人類を食べさせていく食糧はないのでしょうか!。
海を見れば大きな魚が小さな魚を食べています。
草原を見れば肉食獣が草食獣を食べています。
これらの食物連鎖はありのままの自然の姿であって、
能なしの宗教家がその是非を云々する資格はないのです。
ですから人類とて同じ事で、食糧になる物は魚であれ鳥であれ獣であれ虫であれ、
なんでも食していい訳で、「肉食禁止」を薀蓄する宗教はむしろ似非臭いのです。
釈迦仏教でいう「五大戒律」(不殺生戒・不偸盗戒・不邪婬戒・不妄語戒・不飲酒戒)は、
厳しく『不殺生』を戒めています。
『人』を殺す事に留まらず一切衆生を殺してはならないとしているのです。
理由は、殺す権利がないからです。
つまり「肉食禁止」の意味は、『人』には誰彼を問わず、
一切衆生に対しても『殺す』権利はないという事です。
自然の営みの中で食物連鎖としての肉食は『殺生』という『故意』がないのです。
生きる為に食べるしかないから自然の成り行きで食べているのです。
果たして、『飼育』を主とした『遊牧や農耕』の果肉としての「肉食」は、
自然の成り行きなのでしょうか。
我が四門宗では、『自然の成り行きではない』と断定しているのです。
つまり『人』としての食生活形態は『自然』そのもので、草食であれ肉食であれ、
その是非をとやかく言うべきものではないのです。
然し、『人』が『人間』になり、『権力関係/主従隷属』が発生すると、
自然の成り行きではなく、
権力の成り行きとして『遊牧や農耕』が画策されたのであり、
そこには主たる悪業である『贅と税』が『飼育』されていたのです。
飼育』こそ反自然の最たるもので、故にこそ『飼育』による肉食は禁止なのです。

2011-01-08

天女降臨(7)

3-4.png
                                                   印刷用

天女降臨(7)

日本は殺人天国 堕胎天国 人買天国
それは真の宗教が皆無だったからです

私(聖四門新村紘宇二)は日本人として生まれ育ち、七十一年の歳月を迎えようとしております。
この日本は故郷であるので、不名誉な恥晒しは御免蒙りたいのです。
所が、現代日本は、世界中から名指しで非難されている『三大天国』があるのです。
醜悪な役人天国はさておき、
その第一は殺人天国、その第二は堕胎天国、その第三は人買天国です。
殺人天国のいわれは、毎年十三万体強の死因不明の変死体があるにも拘わらず、死因究明の病理解剖等は、先進国では超最低の4%弱、残りの96%強の遺体については解剖等による究明所見がなされぬまま放置されているのです。
理由は監察医が少ない、予算がない、との事で、結果、毎年多くの殺人事件が闇に葬られているのです。
日本の治安は世界最高水準とする『大嘘』に人々は騙され続けているのです。
堕胎天国のいわれは、余りにもご周知の通りで、
世界最大の『堕胎市場』なのです。
日本にさえくれば、いとも簡単に『堕胎』できるのです。
キリスト圏、とりわけカトリック系では『堕胎』は「禁断の木の実」で絶対に手にしてはならないのです。
つまり『堕胎手術』をしてくれる医者がいないのです。
日本では「医は仁術」でなく「医は算術」なので、
『堕胎手術』は医者の稼ぎなのです。
人買天国のいわれは、外国人子女の
『人身売買』による日本への大挙売春渡来です。
特に東南アジア系の子女達は現地の女衒/ぜげん(人買ブローカー)によって、
日本の人買/亡八・ぼうはちに売り渡されるのです。
何と日本では『人身売買』を罰する法律が、2005年までなかったのです。
この余りにもむごたらしい『人身売買』の実態に、アメリカ国務省は日本を先進国唯一の「監視対象国」にさえしている始末で、それは未だに解けてはいません。
日本の津々浦々の夜の巷で働いているアジア系子女の大半は、強制売春をさせられているのです。
最低賃金はおろか、売春で得たお金も半分はいい方で、8割方なんだかんだと因縁をつけられて取られてしまい、残り2割方を国元に仕送りをしている惨状なのです。
何故、日本は、こんなにも非道な『下種な国』に成り下がってしまったのでしょう。
それは、一重にも二重にも日本には真の宗教が『皆無』だったからです。
上記●の『三大天国』(殺人天国堕胎天国人買天国)は、
全て日本特有の役人天国に依拠しているのです。
日本にある『寺』の殆どは『外護/げご』による『寺領』によって贅沢三昧してきたので、宗教としての自律性が『皆無』なのです。
その体質は、権力への、依存・麻痺・中毒で、
現代風に言えば、役人/予算との癒着/免税です。
日本に真の宗教が『皆無』だからこそ悪魔の聖書死の商人が跳梁跋扈するのです。
真の宗教は、二百%弱者の味方であり、真の政治も百%弱者の味方の筈なのですが?。

                       根絶
                      六大差別
               宗教人種文明制度職業貧富

            日本義塾 主宰 新村紘宇二

2011-01-07

天女降臨(6)

精子と卵子の売買市場は
人子(じんし)売買市場で悪魔の所業である


「人身売買」は概ねどこの国でも禁止しています。
所が、「精子」や「卵子」の売買は半ば公然と行われています。
仮に「精子」や「卵子」を「人身」の「子」とみなしたら、
『人子売買/じんしばいばい』となり、「人身売買」と、どこが違うのかとなります。
『不妊』の苦悩は想像に余りあるものがあるでしょう。
『子孫繁栄』は人間誰しもが願う欲望かもしれません。
私(聖 四門)がもし「造精機能障害」等で、我が遺伝子による『子々孫々』が築けないとしたら、それは男性としての「繁殖能力」がないということで、実に由々しきことであり切なることであります。
男性の『種族繁栄本能』は俗にいう「種まき本能」で、百人でも千人でも愛妾を持ちたいという欲望を惹起し、実際に『大奥』を作ったりもしたのです。
然し、この図式は単なる欲望の成れの果てで、人間の無様な酒池肉林と、女性の『愛玩化/ペット化』を際立たせ、現代女性のような『お人形さん』が洋の東西を問わず出来上がってしまったのです。
今流の女性のプロポーションは古代都市国家誕生と共に一万年の歳月をかけて、男の中の男である権力者の嗜好に合わせて、まるで金魚のように『造られた人魚』であって、ともすれば食べられてしまうのです。
日本でもつい最近まで『女房』は『手討ち御免』であり、『檀那』といわれる『御主人様』の逆鱗に触れようものなら、黒田清隆の妻女「清」のように「無礼討」にされてもやむなしだったのです。
それほどまでの男性社会だからこそ、
歴史をヒストリー(男の物語/ヒズストーリー)と言うのです。
仕方がないのです。
『諦め』が必要なのです。
どんなに子供が欲しくても、『天命』に任せるのが『人道』であって「精子」や「卵子」の『人子売買/じんしばいばい』で、『子』を売ったり買ったりするものではありません。
我が四門宗では、「精子」や「卵子」の『人子売買/じんしばいばい』は生命の尊厳を著しく疵つける『不虐待』『不肉林』『不贅沢』『不独占』の四大破戒行為で断じて許してはならない悪魔の仕業とされているのです。
『不妊』の苦悩は『養子』を迎えて『昇華』すべきであって、大金を積んで
『人子売買/じんしばいばい』をするなど呆れ果てる悪業なのです。
結局、「精子」も「卵子」も他人のものであるなら、『養子』を迎えるのも同じ事で、何も『売買』してまで、かかる『人子売買/じんしばいばい』の悪しき『市場』を肥やす必要は全くないのです。
人間世界を一番ダメにしてる元凶は
人三化七』の『人身売買』『奴隷売買』『人子売買/じんしばいばい』で、
『人』の尊厳を陵辱し、嗜虐し、玩ぶ『人間売買市場』なのです。
仮に『被用者』の労働環境が、不断に三K(きつい・汚い・危険)状態なら、それは奴隷市場である事を覚らなくてはなりません。

2011-01-07

天女降臨(5)

ペットも動物園の動物も
人間の嗜虐の生贄 即解放すべし


天女降臨(4)で、女性には『天使性』があり「絶対愛」が普遍的にある、と断定的に言いましたが、もしその「絶対愛」が「独占愛」や「盲動愛」でしかなかったとしたら、これは、男性の権力に対する「独占欲」と「盲動欲」と全く同じ構図で、そこには『不毛』という破滅の方程式しか見いだせません。
現在、日本国におけるペット人口は、全世帯数の46%若です。
国民の約半数の人達が何らかのペットを飼っているわけです。
時として「猫可愛がり」の言葉通り、盲目的に愛情を注ぎ、盲動的に飼育しています。
私(聖 四門)が開門した『四門宗』では絶対に守らなければならない『八大戒律』
( 不殺生 不堕胎 不虐待 不領得 不独占 不麻薬 不肉林 不贅沢 )
があります。
その中の『不虐待』とは、一切生類及び一切諸物に対して虐待をしない事です。
ペットを飼うという事は『虐待』にあたり、四門宗では厳禁です。
この事は「動物園」も虐待の最たるもので、見るも無残な光景でしかありません。
ペットにしても、動物園の動物達にしても『自由』があるのです。
その動物達の『自由』を人間が奪い『動物園』という『檻』に閉じ込めて観賞し自己満足しているわけです。
ペットも同様です。
人間が観賞用に、そして愛玩用に、人工交配を重ねて『片端』に作り替えたのです。
金魚などは典型的な例で実に無残です。
人間の長寿と健康に貢献する医学の分野でも、日常茶飯事として動物達の『生体実験』が行われています。
医学者の功名心と製薬会社の利益にために動物達は日夜『殺戮と虐待』の残酷を受けているのです。
医学で必要なものは、外科の技法であって、内科的医薬ではないのです。
皆死ぬときは死ぬのです。
薬は精々漢方医薬が限度で『生体実験』を主とした西洋医薬は「やり過ぎ」の『過ぎたる物』、直ぐ様でも止めさせなければならない人間の悪業です。
結局、人間には誰一人としてペットを飼う資格はないのです。
所が、その事を覚って、飼っていたペットを、どこかに捨てたとします。
捨てられたペット達は生きる為に必死になって食を求め当然のように人間界でのた打ち回ります。
結果、人間様は相当手こずり相当の被害を受けるでしょう。
捨て方を善処しないと、捨てたペットの『恩讐』によって人間界そのものが壊れてしまうのです。
四門宗では、ペットを飼う行為は、
不殺生不虐待不領得不独占不贅沢 に該当する『破戒行為』で絶対禁止なのです。
私達人類は即、『人』の分際に立ち返り、一切他生を『手篭め』にせず、独占せず、『盲目と盲動』の『不毛の愛』に興じない事です。
一刻も早く『蘇摩天女』様の教えに目覚めなければ、人類に明日は約束されません。

2011-01-03

天女降臨(4)

男性は余りにも権力志向である
女性の天使性こそが人類の救いである


私(聖 四門)は、女性は、女性の『血性』の中に生物・動物として『天授の性』即ち『天使』が宿っていると確信しています。
これが所謂『母性本能』であり『母性愛』なのです。
『胎児』が誰の子であっても『赦す』ことができる『無限の愛』、これは女性特有の『絶対愛』であって、『ヒズストーリー』の人類史/ヒストリーにはない『女性』の天使性なのです。
所が、人類史で『権力』の『実権』を握った『女性』は、その殆どが『天使』といわれるような『大慈大悲』の慈母性が皆無で、ヒステリックな振る舞いしかしていないのです。
つまり『権力・権力の座』に辿り着く過程/プロセスで、本来の女性特有の『母性本能・母性愛・絶対愛』が後退し、それらの『愛』も男性と同じく相対化してしまったのです。
『権力・権力の座』は、女性の『天授の性』である『母性愛・絶対愛』という天使性すら変えてしまうほどの『威力』『魔力』を持っているのです。
私(聖 四門)が『天使』の一人として、こよなく尊敬している「マザーテレサ」という女性がいます。
彼女は『権力・権力の座』を求めたり、或いは、『権力・権力の座』に迎合したり、又、その宮仕いをした方ではありません。
『天使』を連想し自覚するには、「マザーテレサ」の生涯を垣間見て、その一齣にでも、重なりあう冥合部分があれば充分で、大概の女性は『天使』の素質者なのです。
ですが、ひとたび『権力・権力の座』に取り憑かれてしまうと、その天使性は真逆に変わり、悪魔性になり、『魔性の女』になって無残を発揮するのです。
さしづめ「西太后」の、実子「同治帝」に対する『偏愛』の如きです。
私(聖 四門)は余りにも当然のように『男女同権』論者です。
然し、神仏が人類に下賜した『男女同権』は、男性は男性としての『天授の性』(父性)と、女性は女性としての『天授の性』(母性)が『対等』であって、『偏頗・偏向・偏執』がない事をいうのであって、男性が女性化したり、女性が男性化する事ではないのです。
性同一性障害」の方は、医学的障害者であり、『偏頗・偏向・偏執』の『偏質者/変質者』ではないからです。
端的に言えば、男性は『父親』になるべき者、女性は『母親』になるべき者、で、それは『父性』とは、『母性』とは、という命題に他なりません。
その回答が、男性の『父性』とは『父親』になること、女性の『母性』とは『母親』になること、であって、その事を『子々孫々』にしっかりと伝えていくと言う事です。
人類は、決して、他の生物、動物、哺乳類、霊長類と『異質』ではないのです。
その『他』のものからの学習によれば、その『他』のものがそうであるように、女性にしか天使性はないのです。
何故なら男性は余りにも権力志向だからです。

2011-01-03

天女降臨(3)

母性本能は蘇摩天女の慈悲なり
母性愛は人類を救う天女の愛なり


何故『母親』は、己が命を削る『異端』そのものの『胎児』を愛するのでしょう。
それは『天の川 水神・蘇摩天女』様が、太陽系銀河の『父性』に対し『母性』だからです。
天体に『父性』や『母性』を描くのは、それは絵であって絵空事に過ぎません。
然し、その絵空事は、宇宙の『神秘』『神霊』『神妙』を信じ仰ぐ者にとっては『神妙力』となり、かかる天体に疎通冥合して実現となるのです。
『母親』にとって『胎児』は絶対に我が子です。
『母親』の不思議は『胎児』に対する無限な愛で、その『胎児』が強姦した男のものであっても、敵たる男のものであっても、何故か『母親』となる『母性』はそれを許して、『大慈大悲』の『心情真心』を注いでしまうのです。
况んや母体の命を削るやも知れぬのにです。
他方、男は惨めな者です。
どんなに愛し信じている女性でも、目合まぐわいなしに懐妊した『胎児』を我が子と信じる事は絶対にできないし、その『胎児』に『愛情』を注ぐことはできません。
男性にとって『胎児』は絶対的な『愛情』を注げる存在ではなく、単に女性が誰かと目合った証で、その誰かを知っているのは女性だけで、男性の知るところではないのです。
ただ信じるのみなのです。
それが女性と男性の生理や生体の違いであって、脳裏や本能の違いでもあるのです。
ですから、本能的に男性は、『子』に絶対的な『愛情』を注げず、相対的な『愛情』しか注げないのです。
この事は、男性の『愛情』の希薄さを意味しており、凡そ男が宣う『愛の告白』は『相対的』で『絶対的』ではないのです。
私(聖 四門)を含めて、『父親』が『子』に注ぐ『愛情』は極めていい加減で、すべからく相対的です。
『父親』の『子』に対する相対的な『愛情』だけでは『子』は歪いびつに育ってしまいます。
『子』にとって最も大切なことは『母親』の無条件且つ絶対的な『愛情』です。
所が、『人外/にんがい(人でなし)百年の今の世は、女性が権力化し、「女権拡張」と相まって、本来の『絶対愛』という『女性本能』が失われ『男まさり』に変化して、『子』に対する『愛情』も相対化してしまったのです。
今や、親の背中を見て育つ、『親』の背中は、父母共に『世間体』という狂気と欲望の芥にまみれ、鑑の体を為さず、『親』としての尊厳を失い、家庭内暴力、校内暴力、『傍若無人』の温床となって、車内で席を譲らないバカガキを育ててしまったのです。
今をして全女性達が『母性本能』に回帰し、『子離れ』強いては『親離れ』の『真の愛情』に目覚め、『子ら』と真っ当に向き合えば、自ずと『子ら』も『自我』を彷彿し、自律するのです。
『母性本能』の回帰こそが、『子ら』に未来を渡す『親ら』の唯一の『浮輪の糸心友の伝』()なのです。

2011-01-03

天女降臨(2)

大銀河に天母天父ありその子(地球)あり
天の川銀河(天母)と太陽系銀河(天父)なり


私(聖 四門)は『母性本能』が終末の人類の危機を救うと確信しています。
この女性特有の『母性本能』が極端に退化してしまったのが『人外/にんがい(人でなし)百年の今の世なのです。
母親にとって『胎児』は『生命』を分かつ『愛すべき異端』であると同時に、ともすれば『生命』を『奪う』仇なす者になる怖い存在でもあるのです。
お釈迦様のご生母も『産後の肥立ち』が悪く、お亡くなりになっています。
『お産』という『生理』は母体にとって栄養や環境に関係なく、母体そのものの体力を極端に消耗する命懸けの『神業かみわざ』なのです。
『人』は生まれると同時に一人の人口になります。
そして『産後の肥立ち』が悪く、母体が乳児に『乳』を与えられなかったりすると乳児は立ち所に免疫や抵抗力を失って死んでしまいます。
平均寿命は乳幼児の死亡率に比例しており、過大であれば平均寿命は短く、過少であれば平均寿命は長い訳で、単に栄養や衛生等の問題ではなく、母体そのものの『心身力気力体力』と『神妙力霊力・神通力』の冥合の是非が最大の命運なのです。
私(聖 四門)は、この『一家言集』『救い(4)』で、万人に『神妙力』があると述べましたが、凡そ『神妙力』たる『霊力・神通力』は、『神霊』の存在を信じ仰ぐ者に開眼される『妙力』で、『神霊』の存在を無視或いは否定する者にはあまり疎通しないのです。
乳呑児が母親に『乳』を求めないと母親は大変心配します。
それと全く同じように、『神霊』の存在を無視或いは否定して『乳』にあたる『妙力』を求めない『人間』及び『人外/にんがい(人でなし)を、『神霊』の『主』である『天の川 水神・蘇摩天女』様は甚くいたく不憫に思うのです。
『乳』を求めない『乳呑児』は免疫や抵抗力を失って早世するか、人工的なヒ素ミルクを飲まされて毒殺されるか、何れも悲運な命運をたどる破目に陥ってしまうのです。
この宇宙は『神秘』であり『神霊』であり『神妙』なる世界です。
ただその事を素直に信じれば足りる事なのに、何故『人間』と『人外/にんがい(人でなし)はああだこうだと屁理屈を言って『擬神』の『神』を捏造し、その捏造した『神』を押しつけるのでしょうか。
それは都市国家一万年の『毒をもって毒を制す』の『生贄いけにえ』の儀式に必要不可欠な『祭神』として登壇させなければ様にならないからです。
人類のみに留まらず地球上に存在する全生態種は、この宇宙で唯一の存在である『水球地球(太陽系銀河)に棲息し『天の川』という天体に癒されながら生きながらえているのです。
という事は太陽系銀河と天の川銀河はこの大銀河の宇宙にあって唯一の『対』であり、唯一の『恋人銀河』『夫婦銀河』なのです。
だからこそ『愛』が育まれるのです。

2011-01-03

天女降臨(1)

親の背中が見えない闇世
子らは何を見て育つのか


私(聖 四門)は、この『一家言集』「人生の意味」において『人生は無意味』である、
と断言し、『人生とは刹那の生死である』、更に『如何に刹那の時間を処すか!
そんな事を考えることが、唯一の人生の意味といえるでしょう』と吐露しました。
人生は意味があると、言い切るほどの意味はないのですが、ただ『如何に刹那の時間を処すか!
そんな事を考えることが、唯一の人生の意味』なので、この短い刹那の生涯をどう処すべきなのか!!
について考えなければならないのです。
何故なら、私(聖 四門)も人の『子』であり『親』でもあるからです。
つまり『先祖代々』と『子々孫々』があって今の自分が存在している以上、『先祖代々』がそうであったように『子々孫々』に『未来』の襷たすきを渡す義務があると自覚するからです。
然し、人類の現状は、『人外/にんがい(人でなし)が闊歩し、後三十五年の命運しか残されていないのです。
既に『人類滅亡』のカウントダウンは始まり、終末の西暦2045年8月6日の日は明日のように迫っているのです。
この逼迫した時間で一体何ができるのでしょう。
ただ一言だけ、ただ一事だけ、自分の『子々孫々』に「未来の襷」を渡すとすれば、それは『人外/にんがい(人でなし)の外道生活を『すぐやめろ!!』と叱咤激励するだけです。
今、この世で一番嘆げかわしい惨状は、子供達の『遠慮会釈』のない『傍若無人』な振る舞いと、自律できない『親子偏愛』の『離れられない』相互依存症です。
人類も男女共に繁殖能力に応じ、立派な『大人/成人』になるのに二十歳まで『子供/少年』扱いにして『お利口さん』になる為の『学業』漬けにしてしまうのです。
身は大人、心は子供、の扱いが、身の毛もよだつ『頭でっかち』の『お利口さん』という化物を作っているのです。
試験に受かれば身分が保障される形態は、試験問題を出す側の『都合』が受験されるのであって、『都合』に合わない者は不合格となり『落ちこぼれ』の烙印が押されるのです。
人類にとって一番必要な事は『乳幼児教育』(胎児も含む)であり、その後の教育は『読み書きそろばん』が限度で、それ以外の『教養』や『技芸』は、弛まぬ経験と修業・稽古を積ませればそれで十分。
他の生態種と同じく普遍的な『問題解決術』(皆と共に生活していく術)を教え諭す事が必要で、子供は親の背中を見て育つのです。
その親の背中がなくなり、親が鑑になれないほど、この世はどうかしてしまったのです。
つまり、親の背中が見えない闇世が『人外/にんがい(人でなし)百年の人類終末の今なのです。
これでは『子々孫々』に『未来の襷』は渡せません。
そこで一切生類の祖神であります『天の川 水神・蘇摩天女』様にご降臨戴き、親の背中を照らし賜うのです。

2011-01-03

救い(6)

天の川 水神 蘇摩天女は神なり
誰彼の別なく浮輪の糸を巡らす仏なり


『人』となって百万年、『人々』として自然と共に暮らしを立てていた人類の生活ぶりは、『一口/いっこう・ひとくち(少量を分かち合う者)といわれるものでした。
それが都市国家の誕生により『権力』と共に暮らしを立てるように変わり、その生活ぶりは、『課口/かこう(税金を負担する者)といわれる『人間』の図式に変わり、一万年の歳月が過ぎ、そして、西暦1945年8月6日、日本の広島市街に『原子爆弾』を投下して鬼畜ぶりを発揮し『人外/にんがい(人でなし)の本領を剥き出したのです。
宇宙の『百分の法則』に従えば、『人外/にんがい(人でなし)の運命は『人間』一万年の百分の一、即ち百年で、起点日が原爆投下日の西暦1945年8月6日
その日から百年の西暦2045年8月6日までが『人外/にんがい(人でなし)としての魔天楼の迷宮生活なのです。
『人外/にんがい(人でなし)の『』の特徴は『利口』という『』で、何事につけ『お利口さん』なのです。
この『お利口さん』達が、私達人類の生活を滅ぼし、『人類滅亡』の西暦2045年の終末の主役なのです。
『人外/にんがい(人でなし)とは、『一口』の生活者(人々)でもなく、『課口』の生活者(人間)でもなく、『利口』な生活者(人外)をいうのです。
私達人類は、この『利口』なる『お利口さん』の『』を信じてはならないのです。
『巧言令色少なし仁』が『お利口さん』の際立った特徴で『寄らば大樹の陰』の生活をしている『陰者』達です。
既に、百分近く、『人』の性根(大慈大悲の真心)を失ない、『乞食』や『ホームレス』を唾棄する『紳士淑女』達です。
人類を滅亡に追い込んでいる正体は『利口』を売り物にしている『紳士淑女』達であって、この者達の仮面の下は、見るも無残な『邪鬼』の形相なのです。
然し、この者達は『利口』であるが故に正体を決して見せません。
私達のような『あまり利口でない』一般の『人』には到底見分けがつかないのです。
そこで、天の川の主祭神である『水神・蘇摩天女』が、天の川から『浮輪の糸』(心友の伝)を巡らし、その光明で悪魔の正体を『照破』して下さり、私達に進むべき道を教えてくれているのです。
ご周知のように天の川は『銀河』であり、私達が棲む太陽系銀河ではありません。
いわば太陽系銀河の『恋人』であって、恋しくてならない崇高な存在なのです。
どんなに切なく、どんなに悲しく、どんなに苦しい時でも、天の川にきらめく『蘇摩天女』に話しかけると、必ず優しい言葉を返して、『水』と『気』の恵みを、異端の星『地球』にもたらし、『浮輪の糸』(心友の伝)を巡らして、誰彼なく『救い』の手を差し伸べてくれるのです。
「子」は『母』にとって『生命』を分かつ『愛すべき異端』である事を教え諭しているのです。

2011-01-03

救い(5)

摩天楼とは天楼なり
天楼は魔天(悪魔)の棲家なり


私(聖 四門)は『伝つて』(ことづて。ひとづて。てづる。てがかり)という語彙に『人』の遺伝子があると確信しています。
私達が『人』として生まれ『人々』として百万年、『人間』として一万年、『人外/にんがい(人でなし)として百年、で、人類史が終焉するにしても、そこには一貫して流れる『人』の血脈があり、遺伝子としての『伝つて』があるのです。
この『伝つて』こそ、私(聖 四門)が斯く言う『浮輪の糸』の『』なのです。
前頁 救い(4)で再三『心友』という言葉を使いましたが、この『心友』は『浮輪の糸』の『浮輪』の意味で、つまり『浮輪の糸』とは『心友の伝/しんゆうのつて』という事です。
私達人類は、今正に終末の『人外/にんがい(人でなし)にまで堕落し、天楼の物の怪の中で、高さを満悦し、天下を睥睨して威張っています。
そしてその事が、私達生命体の息の根を止める、止めの『魔の手』である事に誰一人として気付いていません。
どうして、これほどまでの、『悪魔の息遣い』に人類は調子を合わせるのでしょう。
それは人類の『浮輪の糸』である『心友の伝/しんゆうのつて』がズタズタに寸断され、最早「如何ともし難」状態に陥っているからです。
天楼』は『悪魔』の『餌場』で、それは『過剰消費』という『ムダ』の『墓場』であって、ピラミッドや兵馬俑の比ではないのです。
そこに、一発の『核』や『毒』が投げ込まれたら、それは余りにも無残な地獄絵図が描かれてしまうのです。
地球上の他の生物がそうであるように、人類も地球上の至る所に敷衍して、横並びに生活すべきで、何の為に『天楼』を競って作るのでしょうか!!。
それは『小賢しいこざかしい』『人間』が『悪魔』を真似て『大量殺戮』の『快楽と快感』の『味』を愛でてしまったからです。
既に『人外/にんがい(人でなし)の『外道』に堕ちていたノーベルやアインシュタイン、オッペンハイマーらが作ったダイナマイトや爆弾、核弾道や化学兵器は、一体誰を『殺す』為に開発されたのでしょうか!!。
『人類』を『大量殺戮』する為に作られたのです。
他の生物には『天敵』といわれる一種の食物連鎖が見られますが、同じ人類同士がまるで『天敵』同士のように『大量殺戮』しあう無様さは、『魔天』の仕業でしかなく、だからこそ『人間』と『人外/にんがい(人でなし)の『外道』達は、『人々』を使役して『天楼』をせっせと作り、より快楽と快感を得る為に『生体実験』のを求めるのです。
『人々』は『天楼大都会』の『魔性』に気付き、一刻も早く『悪魔』の棲家でしかない『天楼大都会』から脱出して田舎に帰り、農業で食べていく事に専念し、『浮輪の糸/心友の伝』を結んで、『人』として生きるに如かずなのです。

2011-01-03

救い(4)

万人に備わりし神妙力
それは浮輪の糸である


『大慈大悲』の『真心』を『人間』及び『人外/にんがい』(人でなし)にどうやって『喚起』させ『涵養』するのか!!
それは「水を引き土壌を耕し種を蒔き手を加え果を実らせる」ことで、決して生易しい事ではありません。
然し、それをしなければ、あと三十五年で人類の歴史が終焉してしまう、
このことが分かっている以上、四の五は言っていられません。
私(聖 四門)は『神妙力』を信じています。
『神妙力』は人智を超越した『霊力』『神通力』で、この『神妙力』は万人に備わった「万有引力」即ち『心愛』なのです。
さて『神妙力』をどうやって開眼するのか。
それこそが、私(聖 四門)が斯く言う『祖神汎仏』『妙力』で、『一・二・四・八いちによんはち』の『浮輪の糸』『愛』です。
つまりこうです。
誰にも父母がいます。
父母にも父母がいます。
『誰』を一人とした場合「父母」は二人、「祖父母」は四人、「曾祖父母」は八人、になり「高祖父母」は十六人、といった具合に『倍々』『ご先祖様』がいるのです。
この『倍々』『ご先祖様』『愛』を『一・二・四・八いちによんはち』の『浮輪の糸』というのです。
親が子を思う気持ちは普遍な『愛』です。
『誰』でも父母に愛され、祖父母に愛され、曾祖父母に愛されて、生み育てられてきたのです。
ですから、この『恩返し』は自然な心愛の発露で、あまねく当然のことなのです。
然し、万人には『寿命』があり、かの『恩返し』はそう遠くまでは届きません。
その「そう遠くまでは届かない恩返しの心愛」が「御先祖様」に対する『遠慮会釈』なのです。
『御先祖様』をたぐれば、誰彼の別なく『人』に辿り着くのです。
万人の先祖は『人』であり、更なる『人』のご先祖は『祖神汎仏』そのものなのです。
ですから『遠慮会釈』の心愛を巡らして、自分を一にし、二人の『心友』を作るのです。
そしてこの二人の『心友』がそれぞれ二人の『心友』を作るのです。
そうして『倍々』で『心友』を作っていくのです。
現在の地球人口は六十九億人若です。
『人類滅亡』の日が2045年ですので、あと三十五年しかありません。
なので、一年に二人の『心友』を作れば、三十三年後には171億7986万9183人の『心友』ができるわけで、これから人口爆発が加速したとしても、一年に、二人の『心友』を作ることに『一念発起』すれば、なんとか『人類滅亡』の2045年までには間に合うのです。
溺れている人には『浮輪』が必要なのです。
ですが、この『浮輪』『糸』でしっかりと結ばれていないと、「糸が切れた凧」のようにどこかにいってしまうのです。
私(聖 四門)は『心友』を作り、『心友』は『心友』を作る『浮輪の糸』を、今必死に編んでいるのです。
それが『神妙力』なのです。

2011-01-02

救い(3)

人々として百万年人間として一万年
人外として百年それで人類は終わり


「人三化七/にんさんばけしち」という言葉があります。
人間が三分で化物が七分の意です。
或いは「人畜生/にんちくしょう」とか「人非人/にんぴにん」とか、何れも人であって人でない人間以下の下等動物を侮蔑してなぞらえた言葉です。
という言葉が歴史上至る所に散見している事は、凡そ『人間』以下の振る舞いを恣にしている輩/ともがらが数多/あまたにいるということで、歴史は意外と正直に人間観察をしていたのです。
私(聖 四門)は、『人』の歴史は以下の三段階のステップを経て『終焉』すると確信しています。
第一の段階は『人々』として百万年、第二の段階は『人間』として一万年、第三の段階は『人外/にんがい』(人でなし)として百年、で、後はないのです。
そして『人外/にんがい』(人でなし)の歴史がいつ始まったかというと、それは西暦1945年(昭和20年)8月6日の広島への原爆投下のその日です。
この日からの『人間』は最早『人間』ではなく『人外/にんがい』(人でなし) そのもので、人道から外れた奈落の迷路即ち『外道』に入ってしまったのです。
そうして「奈落の迷路」で迷走し、ひた走りに走り続けて今日の『迷宮』で明け暮れているのです。
『人』として生まれ、『人々』として百万年を過ごし、阿漕な『人間』に変異して一万年過ごし、そして、あろうことか悪魔に身売りして『人外/にんがい』(人でなし)に成り下がり、既に六十五年の歳月が過ぎました。
『人々』としての百万年、の百分の一である一万年を『人間』、更に一万年の百分の一である百年が『人外/にんがい』(人でなし)の歴史なのです。
となると、後三十五年で『人外/にんがい』(人でなし)の歴史は終わるのです。
つまり、『人』の歴史は、西暦2045年8月6日をもって『終焉』するのです。
この私(聖 四門)の科学は『哲学』という科学で、極めて高度な『霊理霊妙』の「帰納」であり「演繹」なのです。
今、『人外/にんがい』(人でなし)達は『核』の市場で迷走しているのです。
既にあちこちに拡散し留まるところを知りません。
「弾圧が内乱を誘発する」が如く、『核』の誘惑は「誘発」を招き、「誘発」はやがて『爆発』するのです。
誰が『爆発』の引き金を引くのか!!。
それは『人外/にんがい』(人でなし)という、悪魔に魂を売った『魔者』です。
この『魔者』が、第二次世界大戦後の世界を支配し君臨しているのです。
この『魔者』は『気違いに刃物』の類で、げに恐ろしき悪魔の奴隷達なのです。
さて『人』『人々』に化けている『人外/にんがい』(人でなし)という『魔者』をどうやって『救う』のか!!。
この者達を救わない限り、人類に明日はないからです。
前頁、救い(2)最下段の通り、『大慈大悲』『真心』『喚起と涵養』しかないのです。
その実践は、私(聖 四門)の『神妙力』を信じ信仰し、『帰依』することなのです。

2011-01-02

救い(2)

不憫(ふびん)に思う性根は
大慈大悲の真心である


自分が『人』であるのか、それとも『人間』であるのか、まずこの事をしっかりと確認しなければなりません。
『人』は『自然』を愛します。
『人間』は『国家/くに』を愛します。
『人』は『水』を愛します。
『人間』は『金』を愛します。
『人』は『文化』を愛します。
『人間』は『文明』を愛します。
『人』は『遠慮会釈』を愛します。
『人間』は『傍若無人』を愛します。
『人』は『清貧一灯』を愛します。
『人間』は『贅沢三昧』を愛します。
『人』は『小憩小康』を愛します。
『人間』は『大金大尽』を愛します。
『人』は『成道』を愛します。
『人間』は『成金』を愛します。

『人』は『自然人』の素質をもって、百万年強生きてきました。
『人間』は『国家人』の素質もって、一万年生きてきました。

さて私達の『性向』は『人』なのでしょうか、それとも『人間』なのでしょうか。
それは次の一事でハッキリします。

※ 街角に年老いた「みすぼらしい」乞食がいて、
  その乞食を見て「かわいそう」だと思い、いくばくかの金子をやった方は“人”。
※ 街角に年老いた「みすぼらしい」乞食がいて、
  その乞食を見て「かわいそう」だと思った方は“人”。


※ 街角に年老いた「みすぼらしい」乞食がいて、その乞食を見て、
  「うっとうしい」と、追っ払った者は“人間”。
※ 街角に年老いた「みすぼらしい」乞食がいて、
  その乞食を見て、「うっとうしい」と思った者は“人間”。
※ 街角に年老いた「みすぼらしい」乞食がいて、
  その乞食を見て、「無視」した者は“人間”。
※ 街角に年老いた「みすぼらしい」乞食がいて、
  その乞食に気付かず「見過ごした」者は“人間”。

いくら善人を気取り、紳士淑女を気取っていても、街角の年老いたみすぼらしい乞食に、『不憫ふびん』を感じないような御仁は、『人でなし』の『人間』で、『贅と税』の悪霊に取り憑かれた『国家種族』なのです。
然し、街角の年老いたみすぼらしい乞食に『不憫ふびん』を感じた方が少なからずいた筈です。
困った人を見て『不憫ふびん』を感じた方は『慈悲心』が喚起された方で、この『不憫ふびん』に思う性根こそ『大慈大悲』の『真心』なのです。
この『真心』『涵養』こそが罪深い『人間』を『救う』唯一の手立てなのです。

2011-01-02

救い(1)

人間という動物は不快を避け
快楽と快感を求める性根である


つくづく思うのですが『人間』に『救い』は、あるのだろうか。ということです。
私(聖四門)は、『人』の善性は信じても、『人間』の善性は信じません。
『人間』は『人』の亜種で『狡猾』という『悪性』を本性としており、まごうことのない『悪魔』の化身に他ならない、と確信できるからです。
見た目は『人』と『人間』は代り映えしない『同種同根』の類に映りますが、
『人』は自然人の気質が地球の水の質量と同じく70%強、社会人の気質が30%弱。
『人間』は社会人の気質が70%強、自然人の気質が30%弱。
『人』と『人間』は全く真逆の『本性』なのです。
問題は、『社会人』の何たるかなのです。
社会とは自然発生的/無為的にできたものではなく、人為的に作られた『国家』の事であり、それは古代都市国家の成立と相まってできた『蛙』の棲家である『井の中』の事をいうのです。
『人』は一人称では生きられません。
『人』の生活は二人称なのです。
だからといって、それをもって『社会性』とし『人とは社会的動物』であると定義したのが根本的な間違いなのです。
『人』はもともと自然人であり、自然の中で自然に適応し『不快を避け小憩小康を求めて生活していた』のです。
所が『狡猾』なる『人でなし』が突然変異で生まれ、この者の種族が、自然をなぎ倒し『不快を避け快楽快感を求めて生活しだした』のです。
つまり、現代哲学が定義するが如く、『人間とは、不快を避け快楽快感を不断に求める社会的動物である』になってしまったのです。
突然変異で生まれた『狡猾』の種族が、温和な『人』(自然人)を征服して奴隷にし、都市国家を作り、税金を作り、自然発生的な村落共同体を破壊して、国家社会なるものを設えたのです。
社会とは国家の事であり、社会性とは国家性の事であり、社会人とは国家人の事であり、社会問題とは国家問題の事であり、社会の本質は『国家の本質=領土領袖』であって、『社会』とは『国家』に他ならないのです。
ですから社会生活をしている全ての者は、奴隷市場である『国家』を昇華しない限り、奴隷市場の一員でしかなく、自らを自縄自縛して奴隷市場に投下し自己疎外に陥ってしまうのです。
『人』は自然人として百万年近く生きてきました。
『人間』は古代都市国家以来精々一万年です。
そしてこの一万年の人間模様は、一方の『富裕』と他方の『貧困』で、富裕層は、より刺激を求めて快楽と快感を猟渉し続け、貧困層は、より不快な襤衣と粗食に甘んじなくてはならないのです。
地球が誕生してから四十六億年強も経っているのに、その内のたったの一万年の『人間』という『国家人』の乱行で、この四十六億年強の生命の鼓動すら絶たされようとしているのです。

2011-01-02

阿吽(あうん)

豊潤の水は豊潤の愛なり
豊潤の愛は阿吽(あうん)の愛なり


私達は『地球』という小さな星に寄生し、生息している生物であり、動物です。
『地球』を神になぞれば『地神』となり、仏になぞれば『地仏』になります。
『地球』は充分に神や仏になぞらえ、並び賞される偉大な『水球』で、なぜ『地球』といわれるのか不思議な星です。
現代の科学では、この宇宙に『地球』のような『水球』の星は発見されていません。
もし『地球』に『水/海』(以下水)がなく、陸地だけだっとしたら、それはあまたの星と同じく単なる岩石の塊で、そこには『育む』生態系は存在しません。
という事は、神に最も近い大銀河にあって、正に『唯一神』的存在なのです。
それほどまでに『地球』は『水球』であるが故に『唯一神』『唯一仏』と奉じても決して過言でも過信でもない『星』なのです。
つまり『地球』という星には、他の星にはない『』が『豊潤』にある、という事で、その『豊潤』の『』こそが『神』であり『仏』であるという事の証しなのです。
宇宙に生物が存在し動物が存在し、そして頭脳が発達し『思考力』が増幅するに至って、その『思考力』の最たる生き物が『人』という『種』の頭脳であった為に、『人』がその『思考力』を駆使して科学や化学を生んだ訳です。
つまり現世は、『人』という『人種』によって科学され、化学された『この世』で、それは紛うことの無い有様なのです。
つまり、『地球』は『豊潤の水』を湛える宇宙唯一の『星』で、その『豊潤の水』を源泉として『思考力』が生まれ、科学や化学が育まれたのですから、人々を生み育ててくれた『祖神/そしん』(もとおや)は『豊潤の水』であって『豊潤の水』を湛える『地球』そのものなのです。
所が、人間は『豊潤の水』を『領土』(領海領空を含む)とし、その領土の奪い合いに終始し、今時の『地球オゾン層破壊』と『地球温暖化』の生類滅亡の脅威をもたらして、もとおやである『地球』に対し、言語に絶する『仇』を為し続けているのです。
『人間』ほど恩知らずの忘恩の徒輩はこの宇宙に存在しません。
だから私は『人間』は『悪魔』である!
と大声疾呼して憚らないのです。
豊潤の水』は『人間』の私有物ではありません。
地球生態系の生物が共有する生育のもとおやなのです。
『自分だけ良ければ良い』という潜在観念が『人の不幸は蜜の味』の潜在意識をかもし、『私的独占』という顕在意識を狂奔して、『領土』(領海領空を含む)争奪の『戦場』を地球上のそこかしこにはびこらせ、『地球』を焦土と化しているのです。
これ以上の『人間』の悪業は許されません。
『人間』の悪業を見て見ぬ振りをしている『人』はやがて『人間』となり『悪魔』になり、そして奈落の底の『地獄』に堕ちていくのです。阿吽。

2011-01-02

井の中の蛙

井の中の蛙で生きるか
飢餓戦場を正して生きるか


私(聖 四門)は小学生の頃、自分の人生は『太く短く』生きるんだと決めていました。
昭和十五年二月一日生まれですから終戦直後の昭和二一年~昭和二七年頃迄の混乱期と復興期の狭間での感慨でした。
その頃の娯楽や情報は専らラジオで、私は広沢虎造の「清水次郎長伝」や玉川勝太郎の「天保水滸伝」、春日井梅鶯の「天野屋利兵衛」や「南部坂雪の別れ」等の「浪花節/浪曲」に聞き惚れて、大人になったら立派な『侠客』になって『細く長く』のんべんだらりんと生きるのではなく、スッキリと男らしく『太く短く』死んでいくんだと決めていたのです。
所が、現在七十歳で直に七十一歳になる今となっては、結局『太く短く』潔く、男らしく死ねずに、のんべんだらりんと生き延びてしまったわけで、我ながら、人生の何たるかを考えさせられるのです。
ラジオの時代からテレビの時代になり、娯楽や情報は『映像』という『見れる』時代になり、少なくともラジオのように『聴く』だけではなくなったのです。
それだけ脳裏に娯楽や情報が重なって焼き付き、地球規模の出来事が把握できるようになり、教科書にない世界が日一日と広がっていったのです。
そうして色んな事を知るに至り、『金さえ手にいれればどんな物も買える』『金を手っ取り早く手に入れるには宝くじに当たるか博奕に勝つか』だと短絡的な考えに染まっていったのです。
こういう考えを持つに至ったのは両親のせいでも家庭のせいでもなく、それは私自身の『自我』が『人』(自然人)から『人間』(支配者)に脱皮していったからです。
千差万別の職域があり職業があり、その夫々に支配者/雇い主と被支配者/従業員がいるわけで、被支配者は常に支配者が撒く『餌』の良し悪しによって職業を選択するのですが、『雇用』という『市場』が被支配者に有利な『売り手』なら、それなりの『餌』にありつけ、反対に不利な『買い手』なら、買い手側の撒く『餌』にしかありつけず、乃至は『失業』と謂うとんでもない事態に陥って、『餌』にありつけない『飢餓戦場』に置かれてしまうのです。
この『飢餓戦場』にある者は、生きる為に何でもするのです。
財物を求める「領得犯」は、心身共に『飢餓戦場』にある者で、この『飢餓戦場』こそ、人類世界に絶対にあってはならない『戦場』なのです。
にも拘らず、テレビから流れる世界中至る所の『飢餓戦場』は、一体、誰の仕業なのでしょう。
それは『領袖』といわれる『井の中の』の仕業なのです。
二十歳ぐらいで死んでいこうと思っていた私は、テレビの登場で、自分が如何に『井の中の(あんたが大将)であったかを知ったのですが、浪花節の生き様に焦がれ、博奕打ちになり、そして坊主になって、
やっとからになったのです。

2011-01-02

地獄と天国

地獄の沙汰は(かね)次第
天国の沙汰は(さとり)次第


『輪廻転生』する六道世界は、①地獄世界、②餓鬼世界、③畜生世界、④修羅世界、⑤人間世界、⑥天国世界 です。
地球人は、『人』として生まれたにも拘らず『人間世界』で右往左往しながら短い生涯を終えます。
そして又、『人間世界』で過ごした間の行いによって、臨終とともに、かの六道世界の何れかに転生するのです。
六道世界が実際に有るや否やについては『有る』が正しいでしょう。
何事によらず、全ての現象は『投影』であって、有る存在の『写し』なのです。
私達の日常生活は『六道世界』の投影で、①地獄の生活をしている者、②餓鬼の生活をしている者、③畜生の生活をしている者、④修羅の生活をしている者、⑤人間の生活をしている者、⑥天国の生活をしている者、の生活分限が歴然と見えるからです。
即ち、地獄道に堕ちた者は、①『傍若無人』の生活を恣にし、②『贅沢三昧』の生活を恣にし、③『大金大尽』の生活を恣に、した者であり、この者達が堕ちた地獄は『成金地獄』で、金の亡者達が、より多くの金を分捕る為に、姦計と殺戮の限りを尽くしている世界です。
私達の日常生活の中に、果たして、この『成金地獄』の堕落生活をしている者がいないと言えるでしょうか。
又、正反対の対極にある『天国世界』に転生した人は一体どんな生活をしていたのでしょうか!
それは、①『遠慮会釈』を常とし、②『清貧一灯』を常とし、③『小憩小康』を常と、していた人であり、この人達は『成道天国』という解脱一歩手前の『天国世界』で、『涅槃』への『解脱』の修行をしていたのです。
という事は、私達の日常生活は、全て『修行』であって、『天国』を経て『涅槃』に『解脱』する為の『一里塚』であるという事に他なりません。
『人間世界』には間違いなく、①地獄、②餓鬼、③畜生、④修羅、⑤人間、⑥天国、の六道世界が現実にあるのです。
それは、あの世(前世・現世・来世)が『三世』の一隅に過ぎない『三世因果』の世界だからです。
凡そ人間は、母体であり、地母神である『地球』に対し、①『遠慮会釈』し、②『清貧一灯』し、③『小憩小康』し、『成道天国』の生活をして『親孝行』しているでしょうか!、
それとも、①『傍若無人』に、②『贅沢三昧』に、③『大金大尽』に、振る舞い、『成金地獄』の生活をして『親不孝』をしているのではないでしょうか!。
例え『天国』の世界に『転生』できたとしても、『天国』自体に『六道世界』があり、そこで、成道生活をせず、堕落した、成金生活をすれば、忽ち『地獄道』に転落するのです。
私達『人』は、私達の生みの親である『地球』に対し、『成道』に向かう『天国道』で、しっかりと『親孝行』するしかないのです。

2011-01-02

限度と限界

限度と限界の限りを超えた過剰消費
それは贅沢と血税のムダのムダ


『限度』と『限界』はどちらも『限り』
(ある物事に関し、その動作・作用・影響が及び得る境。①時間的・空間的な限界。最後。はて。②数量・程度の極限。③死に望んだ時。臨終。死。限界や限度まで(の範囲)。①限界の時点までの間ずっと。②その範囲のうち。③その範囲内の全部。すっかり。④(「で(は)ない」を伴って)その範囲に該当しないことを示す。)

をもって集約される語彙です。
物事の、これ以上はないというぎりぎりの極限の事です。

私達が棲んでいる地球は「オゾン層」というバリアに守られて生態系が維持されています。
私(聖 四門)が「オゾン層保護プロジェクト」に参加したのは今から十五、六年前の事でした。
車や冷蔵庫、エアコン等の廃棄物からフロンガスを抜き取って再利用するという活動です。
車や冷蔵庫、エアコン等の廃棄物に残留しているフロンガスは、それらの物の解体時に気化してオゾン層を破壊する元凶になっている、とされていたからです。
今でも地球のバリアである『オゾン層』破壊の元凶は、自然界に存在しない人間が作り出した叡智の結晶である化学物質『フロンガス』と言われています。
人間の叡智の結晶であったはずの『フロンガス』が、人間を含めた地球生態系に壊滅的打撃を与えていると言うのです。
そして真面目な一般人は、世界中の「為政者」達のその『大嘘』を真に受けて『ノンフロン』の活動をボランティアでやっているのです。
私もその『大嘘』に騙されて「オゾン層保護プロジェクト」の一員になり活動したのでした。
所がその活動/勉強の結果、地球のバリアである『オゾン層』を破壊している最強最悪の『悪魔』は『燻蒸剤臭化メチル』である事を知ったのです。
『燻蒸剤臭化メチル』は殺虫剤であり殺菌剤として土壌用及び検疫用に生産され世界中で使われ、その質量はフロンガスの数千倍~数万倍なのです。
要するに「為政者」達は、この地球を蝕んでいる『悪魔』は『燻蒸剤臭化メチル』や『化石燃料』の過剰消費である事を知りながら、自分達一族の『権力維持』と『贅沢三昧』の為に、その過剰消費を是の如く装い、誤魔化し続けるのです。
世界中の人々はもうこれ以上の、為政者の為でしかない『過剰消費』に対し、反対し反抗し、反骨の狼煙を上げなくてはなりません。
宗教家にしても『為政者』と共に『贅沢三昧』してきた徒輩達は地獄に行って修行させねばなりません、それ程迄に、『限度』と『限界』の『限り』を超えた、反地球の『過剰消費』を『為政者』とその『迎合者』はしているのです。
もう地球も『限度』であり『限界』です。
何故なら、この素晴らしい『地球』は、限りある『』の質量に他ならないからです。
限りある『物』のムダを即やめましょう。

2011-01-02

雨天と青天

雨天の日あり 青天の日あり
水をもたらす雨天の日 我返れり


私(聖 四門)は『雨天』の日がくると正直ほっとします。
それは『雨天』の日は『托鉢』に行かずに済むからです。
『托鉢』は仏教徒に限らず、生活の糧を『乞食/こつじき』する為に出かけるものです。
どんなに恰好つけても、物もらいであり、所詮、こじきに過ぎません。
この『托鉢/乞食』は『雨安居うあんご』といって、雨天の日以外の午前中は必ずしなければならない仏教徒の基本中の基本の生活です。
仏道修行とか布教とか等の綺麗事ではありません。
食べていく為に『糧』を求めてあちこち徘徊するだけで、それはとても虚しく切なる事です。
私はその『托鉢/乞食』を、『門付け』(一軒一軒門の前に立ち読経して布施を受ける事)でなく、『駅付け』(各駅の駅頭に立ち読経して布施を受ける事)でするのですが、今の世知辛い世の中、殆んど見向きもしてくれません。
人々の『托鉢/乞食』に対する冷やか感は一段と増すばかりで、如何に宗教界が『商売』という対価の世界に堕落してしまったかの証左でもあります。
釈尊も真面目な農夫に「あなたはなぜ働かないで物乞いするのですか」と問われています。
真面目な農夫にあって、働くという事は汗水たらして農業に従事する事ですし、同様に何らかの仕事に汗水たらして従事し、その果実として『糧』を得る事が正しい生活のあり方と思ったのでしょう。
釈尊は「私は法/真理の種を蒔き、耕し、その実を皆様に食べて頂いております」と答えたそうです。
果たして、釈尊の答えは真面目な農夫の詰問に応えたものでしょうか!
もし仮に、釈尊が法施の対価として食施を求めたなら、それは単なる商売で、宗教ではありません。
宗教家がする『托鉢/乞食』は、一切の対価を求めない一方的な法施(托鉢の場合読経)であり、それに対し、何の応答がなくとも、それはそれであって、例え一粒の『糧』が得られず餓死したとしても、恨み辛みをいう事はないのです。
所が、釈尊入滅後二千五百年強経った現代は『商売』が全盛の時代で、全てが『対価』『代価』の『取引』なのです。
そんな中、私は『雨安居うあんご』の『托鉢戒』を守って、『青天』の日の午前中、食べていく為に『糧』を求めて『托鉢/乞食』するのですが、『托鉢/乞食』だけではとても食べていけません。
それは肉身の飢死であり、生きていけないという事です。
それはそれで是非無い事ですが、私は『対価』と『代価』を昇華し『真価』を問う方法で、衆生済度の大願力をかけ『蘇摩水』(穴の谷霊水他御神水)『梵我一如の輪』(梵字の襟輪と袖輪)を、全世界の人々に広敷(こうふ)しなければならないと誓願しているのです。
『雨天』と『青天』その感慨は人それぞれでしょうが『雨天』あっての『青天』である事を忘れたくないのです。
プロフィール

乞食坊主

Author:乞食坊主
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。