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2011-01-02

救い(1)

人間という動物は不快を避け
快楽と快感を求める性根である


つくづく思うのですが『人間』に『救い』は、あるのだろうか。ということです。
私(聖四門)は、『人』の善性は信じても、『人間』の善性は信じません。
『人間』は『人』の亜種で『狡猾』という『悪性』を本性としており、まごうことのない『悪魔』の化身に他ならない、と確信できるからです。
見た目は『人』と『人間』は代り映えしない『同種同根』の類に映りますが、
『人』は自然人の気質が地球の水の質量と同じく70%強、社会人の気質が30%弱。
『人間』は社会人の気質が70%強、自然人の気質が30%弱。
『人』と『人間』は全く真逆の『本性』なのです。
問題は、『社会人』の何たるかなのです。
社会とは自然発生的/無為的にできたものではなく、人為的に作られた『国家』の事であり、それは古代都市国家の成立と相まってできた『蛙』の棲家である『井の中』の事をいうのです。
『人』は一人称では生きられません。
『人』の生活は二人称なのです。
だからといって、それをもって『社会性』とし『人とは社会的動物』であると定義したのが根本的な間違いなのです。
『人』はもともと自然人であり、自然の中で自然に適応し『不快を避け小憩小康を求めて生活していた』のです。
所が『狡猾』なる『人でなし』が突然変異で生まれ、この者の種族が、自然をなぎ倒し『不快を避け快楽快感を求めて生活しだした』のです。
つまり、現代哲学が定義するが如く、『人間とは、不快を避け快楽快感を不断に求める社会的動物である』になってしまったのです。
突然変異で生まれた『狡猾』の種族が、温和な『人』(自然人)を征服して奴隷にし、都市国家を作り、税金を作り、自然発生的な村落共同体を破壊して、国家社会なるものを設えたのです。
社会とは国家の事であり、社会性とは国家性の事であり、社会人とは国家人の事であり、社会問題とは国家問題の事であり、社会の本質は『国家の本質=領土領袖』であって、『社会』とは『国家』に他ならないのです。
ですから社会生活をしている全ての者は、奴隷市場である『国家』を昇華しない限り、奴隷市場の一員でしかなく、自らを自縄自縛して奴隷市場に投下し自己疎外に陥ってしまうのです。
『人』は自然人として百万年近く生きてきました。
『人間』は古代都市国家以来精々一万年です。
そしてこの一万年の人間模様は、一方の『富裕』と他方の『貧困』で、富裕層は、より刺激を求めて快楽と快感を猟渉し続け、貧困層は、より不快な襤衣と粗食に甘んじなくてはならないのです。
地球が誕生してから四十六億年強も経っているのに、その内のたったの一万年の『人間』という『国家人』の乱行で、この四十六億年強の生命の鼓動すら絶たされようとしているのです。
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