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2011-01-09

天女降臨(10)

絹衣は生きた繭を殺して紡んだ命
毛皮は若い動物を殺して剥いだ命


私(聖 四門)がインドの霊鷲山/王舎城にある日蓮宗系の日本山妙法寺(藤井日達猊下一門)に挂錫/けしゃくしていた頃、このお寺には、それは大層大きな太鼓が本堂に鎮座していました。
庵主様の妙光上人は早朝四時頃から勤行に入り、
その大太鼓を読経に合わせて打ち鳴らすのです。
私もお世話になっている以上一緒に勤行すべきなのですが、どうしても、
その大太鼓が気になって、結局一度も勤行に参加した事はなかったのです。
太鼓は、若く逞しく張りのある、人様の年齢なら十七、八歳に相当する
若い成牛が、眉間をバットで殴られ、殺され、皮を剥ぎ取られ、
その皮を鞣して太鼓に仕立てたもので、
そこには太鼓用に『飼育』された牛達の無残な姿が映し出されていたからです。
よくある質問の中に
「野菜だって生き物だし、害虫を殺しながら栽培し、いわば飼育して、結局は食ってしまうのだから、害虫を殺すという殺生と、生き物である野菜そのものを食ってしまうという殺生をしているので、肉食をするのと何ら変わりはないのでは」
と言われます。
確かに野菜は生き物です。
然し、野菜は動物ではありません。
動物のように自らが能動的に自由に闊歩する事がないのです。
況や、私達『人』は動物であって植物ではなく、
従って植物の痛覚や悲鳴は何も聞こえないのです。
我が四門宗における『不殺生戒』は自然の生態系における食物連鎖や弱肉強食は、
自然の成り行きで、『仕方がない』事としてその是非を問うてはいません。
ただ、自然界で自由に闊歩していた動物を捕獲して食べるならまだしも、
『飼育』して、生まれながらにして自由を奪い、
果てに食ってしまうという事の残酷さを禁止しているのです。
それは私が、上記日本山妙法寺において、夜な夜な現れるゴキブリを退治した
『食うか食われるか』の自然の成り行きと同じ事なのです。
生態種の棲処であった生息地を奪ったり、囲ったり、檻に入れたり、枷をはめたり、そういう事が反自然の、人間だけがしている
『飼育』の行為で、植物の栽培は有機栽培/無農薬栽培もあり、
植物が生き物だから食べる事は「殺生」だとする理屈は
生態系の『食うか食われるか』の食物連鎖や弱肉強食を
余りにも論外においた論外なのです。
原産種がどこであれ、それが地球上に伝播して『人』のようにあちこちに点在したからといって、それを原産地に帰れなどという愚論は「野菜も生き物だから食べれば殺生だ!!」とする愚問と同じなのです。
人間のおぞましさの一つに『過ぎたる愚問』があり、それは不毛な理屈なのです。
肉食の禁止、絹衣の禁止、皮革の禁止、太鼓の禁止等々は、
何れも、悪魔に魂を売った
権力者
の嗜好による『飼育』という反自然の悪業を『禁止』しているのです。
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